自己肯定感、という幻想
2026/07/30
自己肯定感、という幻想
サブタイトル
自己肯定感という言葉を、最近よく耳にする。書店に並ぶ本のタイトルにも、SNSの投稿にも、頻繁に登場する。自分を認める力、自分を大切にする感覚。そんなふうに説明されることが多い。ありのままの自分を認めて、価値があると感じられる力。自分は自分でいい、そう思える感覚のことを指しているらしい。
だが、本当にそうなのだろうか。
例えば、朝起きて鏡を見たとき、なんとなく気分が沈んでいるとする。今日は仕事でうまく話せるだろうか、あの人にどう思われているだろうか。そんな不安がふと頭をよぎる瞬間、そこにあるのが自己肯定感の低さだと言われる。逆に、多少のミスをしても「まあ大丈夫」と切り替えられるとき、そこにあるのが自己肯定感の高さだとされる。
なぜこれが大切なのか。
人は自己肯定感を土台にして、行動し、挑戦し、人との関係を築いていく。土台が揺らげば、その上に立つものすべてが揺らぐ。会議で発言する勇気も、新しいことに挑戦する一歩も、この土台の上に成り立っている。
自己肯定感がないとどうなるか。例えば、誰かに何気ない一言を言われただけで、一日中その言葉が頭から離れなくなる。挑戦する前から失敗を恐れて、動けなくなる。友人や同僚と自分を比べては、勝手に落ち込む。こうした弊害は、日常のあちこちに顔を出す。
反対に、自己肯定感があると、他人の言葉に振り回されずに済む。失敗しても、そこから学び、次に進める。安心して人と関わることができる。自分を認める力は、そのまま生きる力になっていく。
ここまでは、一般的に語られていることだ。
ここから先が、本当に考えたいところになる。
自己肯定感というものは、実は比較から生まれている。「あの人より」「昔の自分より」。そういう比較の対象があって、初めて肯定感というものが立ち上がる。比較する相手や基準がなければ、肯定も否定も生まれようがない。
そしてこの世界は、自分自身が発信したことによって創られている。自分の中にある意識や感情、そして出来事に対する解釈。それが、現実として自分のもとに返ってくる。外側に見えている世界は、内側の状態を映し出す鏡のようなものだ。
例えば、同じ「上司に注意された」という出来事があったとする。ある人はそれを「否定された」と受け取り、落ち込み、萎縮する。別の人はそれを「期待されている証拠だ」と受け取り、前向きに動き出す。出来事そのものには、実は意味がない。意味を与えているのは、自分自身の捉え方のほうだ。捉え方が変われば、発信するものが変わる。そして発信するものが変われば、返ってくる世界も変わっていく。
つまり、自己肯定感というものは、存在しない。
なぜそう言えるのか。自己肯定感とは、比較によって、その都度、一時的に生まれる感覚にすぎないからだ。比較の対象がなければ生まれようがなく、しかもその比較は、常に変化し続ける外側の基準に依存している。昨日は自分を肯定できたとしても、今日は同じ自分を否定してしまうかもしれない。つまりそれは「ある」「ない」という固定した状態で語れるものではなく、その瞬間ごとに、自分自身が創り出しているものなのだ。
固定された実体としての自己肯定感は、どこにも存在しない。存在するのは、目の前で起きた出来事を、どう捉えるかという選択だけだ。その選択が発信を変え、発信が世界を変え、結果として肯定感のようなものが生まれてくる。
だから、自己肯定感を「持とう」とする必要はない。出来事の捉え方を、変えればいい。それだけでいい。
もし、この捉え方を変えることに難しさを感じたら。一人で抱え込まず、安東成道に相談してみてね。
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