躾(しつけ)と自由
2026/07/17
躾(しつけ)と自由
サブタイトル
公園の砂場で、子どもが泥だらけになって遊んでいる。全身どろんこで、顔まで泥がついて、それでも楽しそうに笑っている。その隣で親が「汚れるからやめなさい」と声をかける光景は、誰しも一度は見たことがあるだろう。あるいは、自分自身が子どもの側だったこともあるかもしれない。
でもその瞬間、子どもの世界は少しだけ狭くなる。
躾が本当に正しいものであったなら、この世の中はもっと自由で豊かになっていたのではないかと、ふと思うことがある。
戦争も、闘争も、誰かを陥れることも、もしかしたら起きなかったのかもしれない。
生まれたばかりの世界は、自由だった。
泥んこも、大声も、涙も、全部そのままでよかったはずだ。それなのに、親の都合によって、その世界は少しずつ狭められていく。
「ちゃんとしなさい」「泣かないの」「みんなと同じにしなさい」。そう声をかける親に悪気はないだろう。むしろ、愛情だと思って出た言葉であることのほうが多い。
でも、その言葉の一つひとつが、見えない柵になっていく。柵の中を、いつしか自分の世界だと思い込んでしまう。
たとえば、大人になっても「本音を言ったら嫌われる」と感じる人がいる。子どもの頃、「わがまま言わないの」と言われ続けた記憶が、その奥にあるのかもしれない。柵の中を当たり前として生きている人は多く、それが窮屈だったことにすら気づかないまま歳を重ねていく。感情を出さないほうが安全だと学び、出さない練習を重ねるうちに、感じ方そのものを忘れていく。
忘れられた感情は、消えたわけではない。行き場をなくして、体のどこかに溜まっていく。肩こりや、原因のわからない不調。もしかしたらその一部は、そこから来ているのかもしれない。
躾とは、本来何のためにあるのだろう。社会に適応させるため、危険から守るため。理由はいくつも並べられるだろう。だがその理由の裏で、どれだけ自由を奪っているか、考えたことはあるだろうか。
躾をするなら、問うべきは「何をさせるか」ではないのではないか。
「どれだけ自由を奪わないか」ではないのか。
たとえば、子どもが大声で泣いているとき、「泣き止みなさい」ではなく「悲しかったね」と声をかけてみる。たったそれだけの違いで、子どもは自分の感情を否定されずに済む。否定されなかった感情は、その子の中にちゃんと残る。そしてそれは、大人になってからも、その人を支え続けるだろう。
争いも、陥れも、自分の自由が狭められた痛みの裏返しなのかもしれない。
満たされている人は、他人を狭めようとしない。自由な人は、他人の自由を奪おうとしない。もし世界中の躾が、自由を守るものであったなら。この世界は、今とは違う顔をしていたかもしれない。
あなたが受けてきた躾は、どれだけの自由を残してくれただろう。
そして今、あなたは誰かの自由を、どれだけ守れているだろう。
その問いに向き合ってみたいと感じたら、安東成道に話を聞いてほしい。
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成健研究所
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